肛門よりいづる者

真面目に生きてバカをみた

記事 名物ブーメラン

名物にうまいものはなしという言葉がある

 

過度な期待のせいで

案外普通の味にがっかりする

 

 

ということらしいが

 

 

その過度な期待を無くせば

名物にうまいものはなし

等と言うことはないと思う

 

そもそもただの食品に

過度な期待を持つ方が阿呆なのである

 

 

そもそも名物は郷土料理の中で

味や見た目の優れたものであり

不味いものは郷土料理から名物にランクアップすることは出来ないと私は考えている。

 

 

 

私の実家の話をしよう

 

 

 

日本でも長野県下でも珍しい

虫を食べる地域である。

 

 

 

郷土料理として

 

 

イナゴ、ハチノコ、ザザムシ、蚕の蛹

これらの佃煮が郷土料理である。

 

 

特にザザムシ

日常的ではなく祖父母の家で何故かハレの日に出る

特別な物であった。

 

しかし、昆虫から貴重なタンパク質を摂取していた先人達の郷土料理は

 

味の悪さから私の実家ではけして出ず

名物になる前に淘汰されつつある

 

 

(今の時代なら逆に昆虫食は受けそうな気もするが地域出身者に多大なる風評被害を与えかねないのでこのまま消えるほうが平和かもしれない)

 

 

このように不味い郷土料理は名物になる前に淘汰される

 

 

 

栃木県にしもつかれという郷土料理が存在する

 

昔栃木の友人に食べさせてもらったこともあるが

あれも名物になる前に淘汰される運命にあるだろう

 

 

おそらく全国にはこれらのように名物になり得なかった郷土料理がごまんと存在する

 

 

 

それらの屍を超えて

 

今や全国区で名のしれた名物に

 

不味いものなどあるはずがない

 

仮に存在するとすれば

 

それはネット社会のSNS文化が生んでしまった

 

歴史の浅いエセ名物だけであるに違いないと

 

 

私は努努鶏を食べながら思った次第である


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記事  ネットリテラシーとシナモン

某TV番組出演者が

ネットでの誹謗中傷に耐えきれず

自ら命を断った

 

私はその番組をよく知らない

 

ちゃんと見たことは一度もないが

 

名前は知っている程度であった

 

 

 

 

 

今回のような

ネットリテラシーが問われる事件で

私は義務教育で教えるべき

教訓じみた話を一つ知っている

 

それは

 

サンリオピューロランドの人気者

 

シナモンの話である

 

(サンリオキャラクターのシナモンは、シナモロールシリーズの主人公的存在である。性別は男。尻尾がシナモンロールに似た青い眼をした白い子犬のキャラクターであり、空を飛ぶ事ができる。Wikipediaより)

 

 

こんな場末の記事を読んでくれている人なら

ご存知かも知れないが

かの子犬は

一時期SNSバチバチに虐められていた

 

何を呟いても

彼のツイッターのリプ欄は

罵詈雑言の

クソリプまみれで

誹謗中傷の嵐だった

 

彼が前転をする画像を呟けば

「でっけー消しゴムが転がってんじゃねぇよ」「ちゃんと前向け」「●ね」

 

ご飯を食べたと呟けば

「畜生の癖に上等なもん食ってんじゃねぇ」「不味そう」「●ね」

 

ついに限界を感じたシナモンが半分しか現れない時も

「引っ込んでろ」「背景しろすぎ」「●ね」

 

と揚げ足を取りに取り続ける輩が

後を断たなかった

 

 

結果シナモンは

サンリオの架空のキャラでありながら

行き過ぎた行為へ意思表示をし

(友達に代弁して貰うという形で)

クソリプを飛ばす輩を

彼のフォロワーから考えれば

非常に少ないが200人程ブロックした

 

ここで学ぶべきことは

きちんと意思表示をして

然るべき適切な対処を行う

という事の大切さである

 

余談だが現在

今までの誹謗中傷を全て法廷に持っていく

という意思表示をする人達もいるが

それは過剰で火に油を注ぐ行為ではないかと

私は思って懸念をしている。

 

シナモンの件は

この後に本来のファンと

今までのリプに憤りを感じていた層が結束し

またメディアも取り上げたことで

なんとか丸く収まり

 

遂にサンリオ大賞でトップを取るまでに返り咲く事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、このシナモンの事件に関して

もう一つの学ぶべき要素がある

 

それは

 

 

「何故ネット民に叩かれるようになってしまったか」

 

 

という点である。

 

 

これは当時も様々な考察がなされた。

 

恐らくそれらの考察は全て間違っていないのだとは思うが

 

私は当時のネット社会を生きたものとして

シナモンが虐められるさまをリアルタイムで

追っていた人間として

私の目から見たあの事件の発端を証言したい

 

まずシナモンがお気持ち表明をし

事件が収束に向かったのが2015年

シナモンのツイッタークソリプが湧き出したのが2014年の事である

 

当時ネットコミュニティで

あるカテゴリーが全盛期を迎えていた時期である

 

 

そしてそのカテゴリー内で活動していた 

影響力の強いクリエイター達が

ある日

シナモンをパロった作品を出し

シナモンを愛でるようになったのである

 

これは生き証人として言わせて欲しい

これが原因の一つとしてシナモンのツイッターは炎上を始めた

 

それらに感化された

カテゴリーの住人達うちの何人かは

 

シナモンを直接フォローしそのツイートに

最初は大喜利ネットスラングの応酬のリプを飛ばし始めた。

 

しかしそのカテゴリーのスラング

傍から見ればただの暴言でしかなく

 

それらがどんどんシナモンに対する暴言のハードルを下げ

単純な暴言へと変化していった。

 

 

これが私の目にした

「何故叩かれるようになったのか」の真相である。

 

 

つまりここから何を学ぶかというと

影響力を持つ人間は自分の行動の与える影響をしっかりと考慮する必要があるという事

そして、内輪のノリを外に持ち出すべきではないという事、初めは小さな暴言でもそれがどんどん巨大になっていくという事などである。

 

 

是非シナモンの件を学び

ネットリテラシーに役立てよう。

 

あと淫夢は本当に害悪である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記事 一人称

一人称は色々とある。

そして、これらにはきちんと意味合いがあり

 

「僕」であれば従順な、「俺」であれば野生的な、「私」であれば理性的な自分を無意識で演じている。

 

そんな一人称で

「自分の名前が一人称の女性」は

地雷とされる

 

おそらくこれは自己愛が強く

社会の一員としての己ではなく

己を中心とした世界という認識から

一人称を自分の名前にしているので

地雷と形容されている

のだとは思うが

 

 

 

一人称でもっとも危険度の高いものは

 

自分の名前ではなく

 

「オイラ」だと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際私は、この一人称に

静岡の

無農薬で

ロハス

古民家カフェ的な

とろろ屋で出会った。

 

 

 

毛糸の帽子を被った初老の男性店員が

食べ方と食材へのこだわりを説明する際に

言ったのである。

 

 

 

 

 

このご時世に

あえて「オイラ」を一人称に選ぶセンス

 

 

 

 

 

それから私の中で

「オイラ」という一人称を使うことは

 

 

周りとは違うオンリーワンでかつ

 

素朴で

自然と人を愛する

博愛精神を持ち合わせた人物と

 

自分で言うがごとくオナニーワード

 

 

という認識になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこの「オイラ」に関しては

 

まだ全然データが集まっていない話なので

 

「オイラ」を一人称で使う人でも

 

マトモな人がいるかもしれない

 

「オイラ」を一人称で使っていても

 

無農薬野菜やヴィーガンバックパック旅行に興味がなかったりする

 

マトモな人も中にはいるのかも知れない

 

 

 

是非今後もこの「オイラ」の一人称については研究をしていき

最終的に一つの定理でも見つけたいと思っている

 

 

もしその定理が出来上がれば

 

名前は「オイラーの定理」にしよう。

 

記事 僕は君のことをよく知らない

その人の人となりを知るのは

時間がかかる。

 

自分は理解したと思っていても

全然理解できていなかったなんてことは

人間社会を生きていく上で

誰しもが経験したことのあることだと思う

 

常に見ているのはその人の一部分のみなので

それが必ずしもその人の全てではないのだ

 

 

 

最近まさにそんな経験をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんはFF7をご存知だろうか?

FF7はスクエア・エニックス(当時スクウェア)が1997年に生み出した

FFシリーズ最高峰の名RPGであり

2020年4月にリメイクが発売された作品であ

 

 

この作品にティファ・ロックハートという女性キャラがいる

 

 

 

私は幼い頃ゲームを買ってもらえなかったため

彼女のキャラを直接知ったわけではない

 

 

 

しかし同人誌では何度もお世話になった。

 

 

 

 

ゲームを未プレイではあるが

彼女は星を救うために身を捧げ

なんか飲食店に勤めており

多分格闘技系の技を使い

あと主人公と幼馴染っぽく

 

そして

悔しいが感じてしまうタイプなんだろう

 

という事を理解していた。

 

 

 

 

そんな中リニューアルされたFF7はどんなものかと

実況動画を見ていて私は驚いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティファは悔しくても感じないし

ちゃんと喋り思考するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一部分しか見ずに人の性格を判断するのはとても危険なことである。

判断する際はあらゆる角度で総合的に判断するべきである。

 

 

 

 

 

 

記事 100日目に死ぬワニ

あの有名な100日で死ぬワニが遂に死んだ。

 

 

 

作者のきくちゆうき氏には

プレッシャーや誹謗中傷もあったであろう中

100日間も毎日かかさず投稿された事に

素直に称賛と敬意を贈りたい。

 

 

 

 

 

私は連載当初

何気ない日常4コマの最後に

死へのカウントダウンを設けることで

一気に深みが増すという手法に

感心したものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、フォローもしてないのに

毎日目にするようになり

流石に不謹慎だなあと思い私は

4日目辺りからミュートした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから90数日たち

最終日に私もワニの死を目撃したいと

中世の民衆が死刑をエンタメとして消化するが如く

悪趣味な人間の性が出てしまい

ミュートを外して最後の話を閲覧したが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この漫画が実は

 

ギャグ漫画ではなく

 

動漫画であったという

 

驚愕の事実を知った。

 

 

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

 

 

 

 

 

不謹慎出オチギャグ漫画じゃなかったの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動漫画なら死のカウントダウン付の

定点観察なんて悪趣味すぎない?

「俺はこいつの残り寿命知ってるけどこいつは知らないんだなぁ…」って神目線的な楽しみ方でもしてるの?

 

 

 

 

 

 

 

などと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、最終作が投稿された後に

作者や読者層と死生観が合わないと感じた。

 

 

やはり私の死生観では

「死」は救済であると思う

 

死んだ人間は死後の世界を認識できない

幸せを感じることもなければ

不幸せを感じることもない

 

それが死のもたらす安らかな眠りである。

と考えているためである。

 

 

 

 

 

 

 

それなのにワニは

死後一時間後には

現世に引き戻され

次の仕事の告知をさせられていた。

 

 

あまりにもワニが可愛そうである。

 

 

安らかに眠らせてあげてほしいと私は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本一死を望まれたワニは

死後も安らかに眠ることは許されず

エンタメとして消化されるという

新しい形の地獄に閉じ込められた

 

そして彼をその地獄に送り込んだのが

作者であり彼の行く末を見守っていた

(私も含めた)読者であるのだから

皮肉なものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり悪趣味で不謹慎なコンテンツであり

ギャグ漫画時空で行き

死んでも安らかで皆に笑顔で送り出されるような

そんな死にしてあげても

よかったのになぁと言うことを思いましたとさ。

 

 

 

 

 

 

追記

連載終了後大手広告会社と元々コラボしてたんじゃないかと叩かれている本作

主に叩いているのは嫌儲とかではなく

 

「この作品ってテレビで取り上げたり、毎日ネット上で目にするほどの作品か?」とヒットの理由が分からなかった人達が

その答えが”意図して作られたブーム”というバズる理由より理解しやすい答えを得たためである。

(明確な答えではないが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記事 創作落語「時牛丼」

今時分、色々忙しい現代人でございますが、自分の睡眠時間までも確保するため削りがちなのが食事の時間でございます。
本来食事はその食べる前の段階からじっくり時間をかけ、一生懸命美味いものを作り満足し眠りにつくものでございますが昨今の日本人は忙しく、コンビニなりお店なりでお手軽に軽くすませてしまうものです。
江戸時代も同じように忙しい庶民が使うファストフードとして、すしなり天ぷらなり様々ありました。特にその中でも蕎麦は人気でありまして、街の至るところにあり居候でも2杯までなら堂々と食えたという話がございます。
まぁ、現在で例えますなら、街のどこでもあり2杯まで食べてもお財布に優しいという点を考えれば牛丼屋あたりが妥当ではないでしょうか?

ちゃらららら〜ちゃらららら〜
「いらっしゃいませー、お好きなお席にお座りください。」
「はいはいはい(座る動作)」
「えーっとね、この牛丼並盛りくれるかな?」
「かしこまりました、ご注文繰り返させていただきます。牛丼並でよろしいでしょうか?」
「あー、いいねぇマニュアルとはいえ誰もいないのにちゃんと確認する。君はいいバイトだよ。」
「ありがとうございます。只今お持ちします。」
定員下がる動作
「いやー、ここも駅前だけどしっかり掃除もされてるしテーブルのキャスターもしっかり磨かれてる。こりゃ相当マメなやつが店を回してるに違いない、いや何酔っ払ってるわけじゃない、寂しいおっさんの話を若い子に聞いてもらいたいだけだ。」
「はい、すみませんこちら牛丼並みになります。」
「いや、早いねぇ。実に早いよ、この忙しない現代社会でも顧客のニーズに合わせてかなり早いね。素晴らしいよ。」
「うーん、そしてこの牛丼もなかなかに上手いねぇ。この時間帯ならクシャクシャになってる玉ねぎもしっかり火が通りすぎずシャキッとしてるよ。」
たべる
「いやー美味かったよ兄さん。お会計お願いね。」
「ありがとうございます。こちらお値段が380円になります。」
「いやー、ありがとね。とりあえず細かいの出すから手を出してよ。」
「かしこまりました」
「(かぶり気味に)じゃあ、百円玉が一枚二枚、そういえばここはいつも何人働いてるんだい?」
「あ、はい三人ですね。」
「そっかそっか、じゃ四枚と釣り入らねぇよ。じゃあな」
「ありがとうございました!」

これをバイト帰りに死んだ目をして見ていた貧乏学生の山下は一枚ちょろまかしたおっさんの手腕に一目惚れ、こりゃあ自分もやらせていただき浮いたお金でモヤシでも買って家庭の足しにしようと考えたわけであります。

そして次の日
ちゃらららら〜ちゃらららら〜
「いらっしゃいませ、空いてるお席にお座りください」
「はいはいはい、って今日はやけに混んでるな。それも頭の色の明るい学生ばっかりじゃんか、あ、そうか今日は金曜日だ。」
いやー、これは昨日とはちょっと違うなぁなんて思いながら呼び出しボタンをピーン
「はい、お伺いします」
「あー、この牛丼並でお願いね。」
「かしこまりました。(帰る)」
「あらあら、繰り返さないと、まぁ忙しいからね。しょうがないねぇ。」
「まぁ、しっかり掃除の行き届いた店だからねぇ、定員も忙しいんだろう…って思ったけどなんだよこの席の横のゲロ片付けてねぇじゃねぇか。流石に忙しいからって飯空人の前にホカホカのゲロおいてんじゃねぇよ!」
「はい、こちら牛丼並になります。」
「あ、流石に提供は早いねぇ。うーんこんだけ早いのも…って話も聞かないで帰っちゃったよ。」
「まぁ、しょうがないねぇ。あららねぎもヘナヘナだよ。肉も全然ないし、何だいこの店は」
「あー、もういい、お兄さんお会計お願いね。」
「はい、畏まりました。お会計380円になります。」
「あー、ごめんね。細かくなるから手ぇ出してよ。」
「いやー、お客さんちょっと店忙しいんでできれば勘弁してくれないですか?」
「何言ってんだてめぇ!てめぇはマニュアルに従ってりゃいいんだよ」
「はい、すみません」
「じゃあいくぞ、百円玉が一枚二枚」
「ところで今日は何人で店回してるんだい?」
「はい、一人です」
おあとがよろしいようで。

記事 儲

普通に生きてて特に出てこず

 

就職の場面で急に姿を変え現れる質問がある 

 

特技だ。

 

 

 

普段生きてて特技を聞かれるのは部活動や

サークルでの新入生としてであり

 

それは大半が半ばより良い人間関係

つまるところ円滑なコミュニケーションツールである

 

特定ジャンルの経験者とも

特定ジャンルの研究者とも

自分を表現できるためである

 

ただ本当に自分の特技を言っていいのは 

就活の場だけである。

 

それも他人にない特殊なスキルとしてである。

 

 

だが

 

 

 

 

 

私は般若心経をそらで唱えられるという特技を持つ

これは小学生の頃の学校の図書館で借りた

はだしのゲン」で

ゲンが死者の前で御経を唱えることで

親族から金を取るという行為を目にし

「これが手に職をつけるということか!?」

と幼心に妙な勘違いをおこし

 

中学生から高校生にかけて

ボーカロイドのノン息継ぎ般若心経で

日本語訳を覚え

 

最近筋トレしながら聞くことで

マントラ真言)であれば三カ国語は唱えられるようになったという

努力の賜物である

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この特技は全く生かされない

 

 

  

 

 

 

 

 

 

就活でも言えなければ

自己紹介でも言えるはずがない

 

 

なぜなら

日本において般若心経を唱えられるやつは

 

 

 

 

 

 

やばいやつか

 

 

 

少しまともなやばいやつでしかないからである

 

 

 

 

 

これは日本人の宗教アレルギー的な感覚でしかないのであるが

 

般若心経を唱えてる人サイドにも問題がある

 

昨今の世の中で

般若心経をソラで言えるやつは

 

 

 

新興宗教の信者が7割

チャクラとか言ってるやつが3割と言った所だからだ

 

 

 

 

 

 

信じる者は救われるとはいうが

 

信じるものがすくわれるのは

 

足元だけだとみな覚えておこう。