肛門よりいづる者

真面目に生きてバカをみた

記事 微睡みの中で

後輩に勧められたので、ブログ用の記事を作ろうと思う。
理由としては2つだ。
まず、大学院まで出てようやく就職した会社の給与は低く、貰えるはずもない厚生年金が私のお賃金に致命傷を与え、しかも大阪という国外への転勤を通達され実社会に対し感じるストレスからの息抜きで有る。
そしてもう一つの理由としては、私もカラーコーンを売って生計を立てるほどになり、実家のある栃木でウサギ達に囲まれながらハーブ園を営みたいからである。
悲しいかな…今の職場のまま何もしなければそんな細やかな夢すら叶わないのである。

 

夢といえば微睡みの中で見るものも指す。
ノンレム睡眠という浅い眠りの際に見て、脳の記憶の処理の際に発生するという話だったり、人は一晩で三回夢を見るのだが覚えているのは起きる直前見たものだけだという話もある。


どれも朧気な話で、眉唾ものばかりである。
仕方ない。

 

夢であるから。

 

夢では現実ではありえない事が平然と起きて、全く違和感を感じない。

 

そんなもんさ、夢だから。

 

 

 

誰しも自分の見たい夢が自由に見れたらどんなにいい事かと一度くらいは考えたことがあるのではないだろうか。
そんな夢をコントロールする技術が実は存在する。
その夢を明晰夢、一部界隈ではリダンツ、そして催眠オナニーと呼ばれる。

 

人の性欲とは時として奇跡を起こすのだ。

 

催眠オナニーとは浅い睡眠状態を意識を保ったまま作り、夢をコントロールしたり幽体となって自由にこの世を飛び回る方法であるなどと昔のネットに書いてあった。

かく言う私も高校生の頃催眠オナニーを納めんと日夜励んだ事がある。

正確にいえば夜だけだが。

 

当時私は恋をしていた。その人に恋をしたのも、風邪の時に彼女が看病をしてくれるという夢を見たことが始まりだった。
恋に落ちた私だが、行動には移せずやきもきした気持ちを抱えて日々を過ごしていた。

何故なら彼女と私は完全に住む世界が違ったのだ。
彼女は有名人でいろいろな人に好かれていたし私とは違う想い人がいた。
一方私は何ら特別な技術もないただの田舎者であった。

そんな彼女と付き合うのは現実では不可能であったのだ。
しかし夢の中であれば可能であるとある日私は気がついた。

そうしてほろ苦い恋心が私を催眠オナニーに駆り立てた。
一日三度はしていたオナニーも禁じ、α波かβ波とかいうヌルいミストサウナで流れてそうな音楽を聞き、催眠オナニーの鍛錬を送った。


そして、結果として私は金縛りに異常にかかりやすいという特殊体質を獲得しただけで、催眠オナニーを納めることはできなかった。


人に夢と書いて儚いとはよく言ったものである。

 

ちなみに彼女はそれからしばらく立って私の前から姿を消してしまった。終了したのである。
物語の宿命としていつかは必ず終わりが来るのである。漫画のキャラクターである彼女はその物語の打ち切りを持ってして去ってしまったのだ。

 

うん、二次元キャラに恋をしたんだ。